普段なにげなくスカトロAVを見ていてこの作品にはうんこ愛があるだとかうんこ愛がたりないだとか思っていたのに、いざ改めてうんこ愛とは何か?と考えてみるとはてなんじゃろな?となってしまう自分がいました。しっかり時間を取ってゆっくり考えてみましたが確定的なこれ!という所まで考えが至らない。「うんこ愛とは〇〇である。」とならない。どうやら僕自身がうんこ愛というワードを言葉の定義としてしっかりと捉えておらず、もっと抽象的なふんわりとしたイメージで語っていたようです。偉そうに語っていてこれは恥ずかしい事だと反省しています。

ふんわりとしたイメージのまま考えていたので結局答えはまとまりませんでしたが、今後自分でもうんこ愛というものを考え続けるうえでのヒントのようなものはいくつか出てきましたのでまとまらないままここに書こうと思います。

まず、この作品にはうんこ愛があるだとか足りないだとかを思う時に僕自身が何を基準にしているのかを考えました。そうやって改めて考えてみると僕はうんこ愛という言葉を「うんこ愛が足りない」というようにマイナスと思われる事象に対して定義して基準としていたことが分かりました。「うんこ愛がある」という場合はその反意的に用いていたんです。

僕にとってうんこ愛がないというのはうんこを汚物として扱ったり責めの道具として使用するような行為もしくは思想です。足りないというのは有ると無いの中間ではなくかなり無いに近い位置づけです。本来ならうんこ愛がないと言い切りたいのですが、もしかしたらちょっとあるのかもしれないという弱気なところで表現を少しだけ弱めているだけです。

この「足りない」という事を基準としてしまっているので、足りないことに関しては説明できるのに「ある」という方が「足りないの反意」となってしまって説明できなくなってしまっていたんですね。マイナスのマイナスはプラスみたいな説明になってしまう。やはりこれでは「うんこ愛とは○○である。」とはなりませんから。

うんこ愛がないという表現に僕自身が弱気になってしまう要因としては、僕がうんこ愛が足りないと思っている作品がとても売れていたりするという事もあったりします。僕が「この作品は随分うんこをぞんざいに扱っているなぁ」と思っていてもその作品が凄く売れていたりレビューもみんなで大絶賛だったりなんて事もよくあったりします。

巨匠と呼ばれたりレジェンドと呼ばれてる方の作品も僕的にはうんこ愛が足りないものがとても多いです。でもとても売れてます。さすが巨匠やレジェンドだなと本当に思います。これはけっして嫌味ではなく、うんこで商業的に成功することの難しさは僕には想像のできないところの話ですから素直に流石だなと思います。そもそも僕の言ううんこ愛が有るだの無いだのって話は純粋に有る無いの話なので作品の善し悪しとは全く関係のない話です。いや、僕の基準では作品の善し悪しに関係はしますが、ほかのマニアたちの基準は各々また別にありますから結果関係ないと言った方が分かりやすいですね。僕が思ううんこ愛が足りない作品がとても売れてるという事はそれはそれで答えが出ちゃってるとも言えます。

僕以外のマニア達から見たら「うんこ愛?………は???」てなもんでしょう。

それでも僕は僕の基準「うんこ愛」でこれからもスカトロAV作品を語り、村長セレクトでそれらを紹介していきたいと思っています。

 

 

うんちまでもを再現する企業努力・・・僕は嫌いじゃありません( ・`д・´)