ちょっと分かりにくい表現ですが「うんこ愛が足りなくない作品」すなわち「うんこ愛がある作品」とは一体どんなものなんだろうかという話ですが、これも先日ここで話した通り分かりにくいですが「うんこを汚物として扱ったり責めの道具として使ったりしない」作品だと僕は思うのです。

例えば女の子がしたうんちをその娘の顔の前にもっていくシーンを想像してみてください。
僕はこの時にざっくり大きく分けて2パターンあると思います。

ひとつ目は汚い言葉がけをして責めるようなシーン。「お前のした糞だぞ!よく見ろ!」的なやつです。これをとします。女の子も「いや~~~~!」とか言いながらうんちから顔を背けたり足をバタバタさせたりして拒絶する。

ふたつ目は女の子の羞恥心を煽るような言葉がけをするようなシーン。「〇〇ちゃんってこんなうんちするんだね」とか言っちゃうやつです。これをとします。女の子が「言わないで~~~!」とか言いながら顔を真っ赤にしたりする。

みなさんはの違いは分かりますか?同じじゃね?って思います?

これ僕の中では全然違うシーンなんですよ。もう少し詳しく説明しますね。

 

ですが、これは責める側にも責められる側にもうんちは汚物であるという認識が強く感じられます。一般的な常識としてはそれで正解ですし至極当然な反応であるともいえます。でも、臭いものを目の前にもっていくだけでいいのならそれは例えばドリアンだって別に良い訳ですよね。あれ熟れると超臭いですから。でもドリアンは臭いけれど食べ物ですし高級な果物としての地位もある。別に顔の前にもっていったところで「くっさ~~~~い!www」と笑いにはなるかもしれませんがエッチなシーンには成り得ない。

これは女の子が嫌がる事をするって事で成立しているシーンなんですよね。

うんちは汚物である。だから顔の前にもっていくと女の子が嫌がる。女の子が嫌がる様子を見て興奮する。こういったシーンになるんだと思います。これ、うんちを汚物として扱って責めの道具にしていますよね。

 

ですが、これも厳密に言えば声がけをしている側も責めてますし女の子も嫌がっています。でも、声がけをしている側は女の子の羞恥心を煽っていますし女の子も恥ずかしいから嫌がっているんですよね。僕は別にの人達がうんちを世間一般的に衛生的なものだと思っていると言いたい訳ではないんです。でもきっと恥ずかしいものだという共通認識はある。このシーンには羞恥心が根底にあるという事を言いたいんです。女の子も嫌がっているが、これは自分のしたうんちを顔の前にもってこられて恥じているんです。

これは女の子が羞恥している事で成立しているシーンなんです。

 

僕はにはうんちを汚物として扱っているという印象が強いです。しかもうんちを責めの道具としている。うんこ愛がないシーンだと思います。
でもにはうんこ愛を感じる。確かに羞恥責めをしているのですがうんちを道具として使っているという印象は無いのです。うんこ愛があるシーンだと思います。

それはなぜなのか? うんちを別のものに置き換えて考えてみましょう。

 

の場合は女の子が嫌がるものでなくてはいけません。それも汚物であるうんちに負けないくらいのものではなくていけません。大量のミミズなんかどうでしょうか?しかも生きていて蠢いてるやつです。爬虫類なんかでもいけそうですね。きっと全く同じじゃなくても似たようなシーンが撮れると思います。実際にそういった作品がいくつも売られていますよね。

の場合は女の子が恥じらうものでなくてはいけません。その子がしたオシッコや穿いていた汚れた下着なんかでどうでしょう?うんちほどではなくても良い羞恥シーンが撮れそうですよね。

 

は極端な事を言えば男性のうんちでも良いんです。間違いなく汚物ですから。汚物じゃなくても女の子が嫌がりさえすれば成立する。そこに物だったり道具だったりの感じが出てくるんですよね。(僕は男性として異性のうんちに性的なものを感じるのでこういった書き方をしていますが、当然ですが男性のうんちに性的なものを感じる事または感じる方を否定している訳ではありません。)

は女の子が恥じらうからといって子供のころの作文や通知表を顔の前にもっていっても成立はしない。その女の子の体から出て来たもの出なくては成立しない羞恥なのです。なのでそこに物感や道具感はないのです。

 

書きながら自分でも頭の中が整理できてきました。きっと僕は羞恥心のあるうんちに「うんこ愛」を感じるみたいです。そうなるとたとえのシーンでも女の子が少しでも恥じらってさえくれたら僕はそこにうんこ愛を見つける事がきっと出来るんだと思います。

 

うんこ愛の話をまとまらないまま書いてみました。

 

うんちまでもを再現する企業努力・・・僕は嫌いじゃありません( ・`д・´)