スカトロという嗜好は一般の方から見ればイメージ的に一言で「変態」と簡単に括られてしまいがちですが、じつは同じスカトロであっても一般の方には理解出来ないくらい細分化された趣味嗜好で、しかも原理主義的で頑なな人も多くけっして「みんな仲良し♪」といった状況ではなかったりします。

ではなぜ同じ「うんこ好き」であってもなかなか仲良く出来ないのか。

これはあくまでも私見ですが、その原因は交流不足にあるんじゃないかと僕は思っています。

スカトロは市民権を得ていません。なので自らスカトロである事を公言する人はまず居ません。「うんこ村の村長です♪」とか言ってる僕ですら私生活ではスカトロである事を公言していません。

るなさんあきこちゃんのように僕の個人情報を知っていてプライベートでも交流のある人も居るには居るのですが、この場合も最初はスカトロ方面で知り合ってそこから仲良くなって個人情報を伝えたという関係だったりしますので、元々の知り合いに「じつはスカトロなんです」と打ち明けた経験ってぼくは多分ないと思います。先に一般生活で仲良くなった人にスカトロをカミングアウトするのはやはりどうしてもかなりのリスクを背負う事になりますからね。

多分みんなも言い出せないんじゃないでしょうか?知られてしまった場合のリスクって今はまだかなり高いですし、そうなりますと誰かと交流する機会なんてなかなか作れないですから。

だから各々で自分の趣味と孤独に向き合う事になる。そうしますとどうしてもいつの間にか自分の世界だけが唯一正しいというような気持ちになってきてしまうと思うんですよ。結果無駄に攻撃的になってしまったりする。

インターネットが普及して前よりは自らの趣味嗜好を共有しやすい環境にはなりましたが、それでもやはり匿名でやり取りをしている状態では完全に共有できたり、また自分の気持ちを完全に解放するところまでには至らないのではないでしょうか。

スカトロのAVだったり本だったりが商売として成立するくらい(最近はかなり厳しいらしいですが)嗜好としてのスカトロ人口はある程度存在しているはず。でも一般人でスカトロの人ってあんまり聞いたことない。現状はそんな感じですよね。

もう少し気軽にうんこの話ができる世の中になればいいのになって本当に思います。

でも僕は悲観していません。スカトロが今より少しでも口に出しやすい世の中がやってくるかもしれないと思ってるんですよね。

ヒントはSMにあると思います。

今じゃ気軽に「私ドSだから!」とか「ドMですぅ〜」だなんて普通の人が言ったりしてますけれど、そんなのここ20~30年の話ですからね。それまでは存在は知られていてもあまり人前で話すような事柄ではありませんでした。少なくとも今のように気軽に公言できるような話題ではなかった。もっともっと陰々滅々とした変態行為として世間には認識されていたと思います。

以前なにかのテレビ番組でタレントの有吉弘行氏が売れるという事はバカに見つかるという事だと発言していましたが、そういう意味ではSMはバカに見つかったのです。

これは僕なりの解釈ですが、有吉氏が言ったのは売れるという事は本質を理解していない人をも巻き込むという事であり、そして本質を理解していない層の人達が楽しむからこそそれが広く一般的に認知されるという事なんじゃないでしょうか。

多分本来のSMを楽しんでいた人達からしたらそんなのSMじゃねぇーし、というような事もバカ(本質を理解していない層)はSMだと言って楽しんでいった。その結果本来のSMとはかけ離れたものも含めてSMは広く一般的に認知されていった。SMの裾野が広がったという訳です。

実際「ドМですぅ~」と言ってるような人を本物のSの人とプレイさせたら青くなって逃げ出すでしょうし、自称ドSが単なる粗暴な勘違いの人だったなんて事は良くある話ですよね。それでもSMは広く一般的に認知された。たとえ本来の意味とはかけ離れたとしても。

広く認知される事の功罪は色々あると思いますが、少なくとも気軽に口に出せる言葉となったのは大きな功績と言えるのではないでしょうか。

僕はこれをスカトロで起こしたい。言葉は悪いですがバカに見つけて欲しいんです。気軽にうんこの話ができる世の中になって欲しい。本来のスカトロとは若干意味が変わったとしても広く一般的に認知される存在になって欲しい。

ライトSMというような言葉が出来たようにライトスカトロというような言葉が出来たら良いなと思うのです。

  うんちまでもを再現する企業努力・・・僕は嫌いじゃありません( ・`д・´)