四十路を驀進中の僕が小学生の頃は、男子が学校のトイレでうんこをしようもの
なら犯罪者以上の迫害を受けたものです。全国的には中学校に上がるとその行
為を黙認してもらえるようになるみたいですが、 僕の住んでいたところは知的水
準が低い町だったので中学校に上がろうとも小学校と変わらず学校でのうんこは
蔑みやからかいの対象という扱いでした。

最近「便育」という言葉を知りました。子供の頃から排泄に対する正しい知識を持
たせることで学校でもトイレに行きやすい環境を作っていくという運動のようです。
30年以上経った今も一緒なんですね。現代の子供たちも学校での突然の腹痛や
便意に怯えてるんですね。お前らの気持ち痛いほど分かるぞ(´・ω・`)

この運動自体はものすごく真面目に取り組まれているものですし意義のある事だ
と僕も思うのですが、同時にかなり大きな違和感を感じてしまいました。なにか目
的は崇高なんだけれど手段のピントがどこかズレている、 もしくは遠回りしすぎと
いった印象です。

最初にハッキリとさせておきますがけっして否定している訳ではありませんよ、偉
い先生方がやっている事に文句をつけられるほどの学があるわけでもありません
し・・・ぼくは単なる変態ですし・・・w

学校でうんこがしたくなった時に我慢してしまうという事を無くそうという目的は大変
素晴らしいですし大賛成です。でも「便育」はそれを正しい排泄の意味を理解するこ
とでからかいや恥ずかしさが減るという論理で進んでいくんですよね。

いや、正論なんです。間違ってないんです。

でもどんなに排泄に対する理解が深まっても学校でトイレに行きにくいという現実は
変わることはないと思うんですよ。

極論ですが、じゃあデート中にトイレになかなか行けない女性は排泄に対する理解が
足りないのでしょうか?また、理解を高めるとトイレに行けるようになるのでしょうか?

絶望的に知識が不足している大人も世の中にはいるでしょうけれど、 ある程度の年
齢になっていれば排泄に対する最低限の知識は誰でも持っていると思います。それ
でも恥ずかしいと思えばトイレに行けなくなってしまうんです。それは大人も子供も一
緒でしょうに。

以前なにかで「学校のトイレでうんこが出来ないのはなぜ?」というアンケートを小学
生に行った結果を見たことがあります。「和式だから」「汚い」「からかわれる」といった
ところが大きな意見だったのですが、このなかで一番厄介で根が深いのは「からかわ
れる」だと思うんですよ。

「和式だから」は施設的な問題なのですぐには対応できない部分もありますが、それ
こそ便育で和式の使い方を教えることによって拒絶感が薄れる可能性はあると思いま
すし、実際便育では紙に書いた和式便器を床に敷いてみんなでしゃがんでみるという
シュミレーションも行っているようです。

「汚い」は清掃と照明の工夫で印象を変えることは可能でしょう。そもそもこの「汚い」と
いう回答はアンケートに答えなきゃならないという状況に子供たちが空気を読んで無理
に絞り出したもののような気もするのですが・・・

で、「からかわれる」です。
決してからかわれないという状況が約束されているのなら和式だろうがトルコ式だろうが
どんなに汚かろうが、 うんこが漏れそうなくらいにしたいんだったら誰だってそこでうんこ
をすると思うんですよ。

結局「羞恥心」とどう向き合うかという事が問題な訳であって、それが一番難しいって事
なんですよ。

分別のある大人ですら羞恥心の前では苦しんでしまうというのに子供は排泄の理解が
深まれば大丈夫になるというのはちょっと理想論の極みではないでしょうか?

もしかして「子供の羞恥心なんて大人に比べたらたいしたことない」と思ってるんじゃな
いだろうか?